これまでのアートレポート

アートレポート- Art Report -

勅使河原純の『とっても気になるあの展覧会へ「行ってきました」』

2017/1/27 update

「並河靖之七宝」展

東京都庭園美術館 2017年 1月14日(土)~ 4月9日(日)

「並河靖之七宝」

 

美術アートのなかでも工芸作品は、とりわけ技術・技法が決定的に
優劣を分かつ重要なポイントをなす。その意味で並河靖之(1845-
1927)の有線七宝は、明治期最大の実績を挙げた輝かしき成功例と
して記憶されてきたのだろう。
今回はその〔息を吞む〕ばかりの魅力と全貌が、ある種の諦めをも
含んだ〔溜息として再び吐き出される〕ような思いに駆られる展示
となった。これほどまでの高みに登ったアートが、何ゆえ短命に
終わらざるを得なかったのか。時代とともに技術・技法は古びて、
いつしか忘れ去られてしまう。後に残るのは、真に美術アートだけ
というお話しなのかと。
以下は私が、美術館のなかを彷徨い歩いていたあいだ中、反問し
つづけた溜息である。

輝く黒地の制作/ガラス質釉薬の化学的研究への敬意。完璧な流線
形を強調する曲がり部分の光沢・反射光が、わけてもみごと。
黒地の余白/完璧な黒地がもたらす無限空間は脱地上的広がりを持つ。
模様パターンから絵画へ/左右対称ではなく、わが国工芸美術品独得
の、正面と裏側の或る図柄が印象的。(写真参照)
それによりメインモティーフが一層明確となる。写真など明治期の
多くの美術ジャンルで認められた「絵画化」が、ここでも通奏低音と
なっていよう。その結果、模様パターンがしばしば陥る退屈さが、これほどまで完璧に回避されようとは。
有線技法への拘り/図柄を目いっぱい浮き立たせる視角効果は期待通り。このようにして、工芸の近代化は
実体化されていったのだろう。
細密性/細かい緻密さというより、ほとんど顕微鏡的精度といっていい。アールヌーボー、アールデコ/やはり
海外の美術動向への不断の関心と呼応が、古びない秘密か。仕上げの見事さ/滑らかな表面、すなわち砥石や鹿の角、
木炭、木賊、弁柄などを使った段階的研磨・艶出し技術の凄まじさよ。焼成/数限りない焼成作業への情熱は、一体
どこからやってくるものなのか。装飾/付属する装飾を生み出す彫金技術の高さ。これこそ並河七宝の隠し味と思う。
愛玩性の強調/作品をあえて小振りに留めた国際戦略。小さな不思議な国からの「贈物」的イメージの創出は、何と
巧みなことか。そんな視点をなぜに元武家が保持していたのだろう。
万国博覧会に標的を定めた国際的販売戦略/販売店を構え、工場生産に踏み切った工芸の輸出産業化は、国策ゆえの
路線であったのか。古今の図柄の活用/正倉院御物をも想起させるシルクロード的異国趣味。古代的花、蝶、鳥、神獣
などの巧みな活用。江戸趣味を髣髴させる洒脱・粋・韜晦の復活。そこには言葉にならない明治期の吐息があるように
思える。
金属地の隠蔽/口を小さくしたり、蓋をつけることによって中をみせない工夫が感じられる。皿よりも鉢よりも、壺を
溺愛して止まない形態特性があるのだろうか。シャープな形態/風船に空気を入れ、膨らませて成形したとしか思え
ない不思議で魅力的な流線形。意識されない分だけ、なお一層重要ということなのだろう。

画像:《花鳥図飾壺》清水三年坂美術館

(東京都庭園美術館、~平成29年4月9日)





勅使河原 純

東北大学美学西洋美術史学科卒業。世田谷美術館に入り、学芸業務のかたわら美術評論活動をスタート。学芸部長、副館長を経て2009年4月、JR三鷹駅前に美術評論事務所 JT-ART-OFFICE を設立、独立する。執筆・講演を通じ「美術の面白さをひろく伝え、アートライフの充実をめざす」活動を展開中。熟年世代の生活をアートで活気づけるプログラムにも力を入れている。さらにジャーナリズム、ミュージアム、ギャラリー、行政と連携し「プロ作家になりたい人」、「美術評論家として自立したい人」のためのネットワーク・システムづくりを研究・実践している。

公式サイト
http://www.jt-art-office.com/